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直腸ガン発覚までの記憶

2005年7月頃
血便が出るからと近くの病院に行きました。
そこで痔と診断され、ホッとして帰ってきました。
飲み薬と肛門への注入薬を2週間分貰ったのに対して
服用したのは3日です。
安心したパパはその後も血便は続くものの
痔の症状だと言う事で気にしなかったようです。

10月頃
腰痛が酷くなってきたので整形外科に行きました。
骨には全く異常がないので、良く体を動かす事と
整骨院でのマッサージを薦められました。

11月頃
虫歯の治療で歯医者に通ってたんですが、
ある治療の日、舌に違和感を感じ、
翌日舌の両側にたくさん口内炎が出来ました。
歯医者で治療する際の薬のせいだと思ってましたが、
耳鼻科に行くと舌炎だと診断され1週間の
薬の服用を終えた頃症状が治まりました。
ここでパパは「舌癌じゃなくてよかった」と
安心してました。

風邪などでは殆ど寝込む事がないパパでしたが、
この年の冬は2回ほど寝込みました。
咳や鼻水もしつこく続いてました。

2006年になり
夜中に腹痛でトイレに行く事が増えたのと血便が
便の外ではなく、便に混ざってマーブル状に
(変な表現でスミマセン)出るようになり
気になり始めたそうですが、2月に会社からの
人間ドッグを受けるからと
その時、特に病院には行きませんでした。

3月初旬
人間ドックの結果は全く問題がなく本人も安心しました。

しかしその後、腹痛が酷くなり便秘と下痢を
繰り返す事が多くなりました。
これはまさしく大腸癌の兆候だと感じ、

3月下旬
近所の病院に行きました。

4月6日
大腸ファイバーの予約をし、
前日2リットルの下剤を飲む事になりました。

検査の前日は朝から検査食を食べ、
夜は下剤を飲む事になっているので、
前々日、「最後の晩餐だぁ」と言いながら家族3人で
カラオケボックスに行きました。
本当に最後の晩餐になりかける事なんて、
この時みじんにも思わなかった3人は
飲んで、食って、歌いまくりました。

2006.4.5
パパは20:00から下剤を飲む予定でしたので
早くお風呂に入って準備をしてました。

娘は4ヶ月から保育園に通ってます。
今までは最年少クラスだったのですが
4月からは1つ上のクラスに進級する事になってました。
新しいクラスでは自分のロッカーに家族写真を貼るそうです。
自分のロッカーがすぐ分かるようにだそうです。
その晩家族写真を撮る事になり3人で
何度もやり直しをしながら撮影ましたが
結局いい感じの写真は取れませんでした。
その時も「あぁ~最後の家族写真かぁ・・・」
なんて冗談言ってました。
これまた本当に最後の家族写真になりかける所でした。


2時間掛けて2リットルの下剤を飲みます。
その後個人差はありますが、1時間後位から排便があり
朝までに腸の中を空っぽにするそうです。

パパは2リットルを飲み終えて1時間後から軽い腹痛が始まりました。
それが11時半頃です。
そこから腹痛がどんどん酷くなるばかりで、
一向に排便が始まりません。

2006.4.6
1:00頃
検査をする病院に電話して状況を説明しました。
「多分、これから排便があると思いますよ。
個人差がありますが明け方まで出なかったって人もいます。
もう少し様子を見て下さい。」との事でした。
それから嘔吐が始まりました。便は全く、ガスさえ出ません。
その内、顔色が悪くなり動くことすら少し困難な状態になりました。

2:00
再度病院に電話しました。
「う~ん。レントゲンも見て確かに少し便が溜まってたんだけど、
大丈夫だと確信し今回の検査をする予定になったんですが、
状況によっては下剤を飲む事が危険な時もあります。
もし、腹痛が続くようでしたら救急病院に行って下さい。」
その危険な状況だったんだと、後に理解する事となり、
やり場のない気持ちが込み上げて来ました。

2:30
苦しむパパと、ぐっすり眠っている娘を抱え
救急病院に駆け込みました。
パパは歩く事がやっとで、なんとか診察室まで辿り着きましたが
座ってる事も横になる事も出来ない位嘔吐と腹痛に襲われていました。

そんな中娘が目を覚ましました。
この大変な状況なんて全く分かるはずもなく、
抱っこに飽きてきたようでグズグズが始まりました。

パパはすぐに浣腸をしてもらいましたが、
痛みで我慢できず薬を出してしまいます。
「あかん、ほんまにあかん。」と歯を食いしばり、痛みに震えていました。
でも、便は一向に出てきません。浣腸を合計3回する事になりました。
その時救急車が2台立て続けに入ってきて
パパへの処置が完全に遅れてると認識しました。

苦しむパパとグズる娘をどうしたら良いのかアタフタするばかりでした。
とりあえず、実家に電話をし母親に事情を説明し
タクシーで娘を迎えに来てもらいました。

その間パパは車椅子に乗せられレントゲンを撮りに行ってたようです。
レントゲンの結果、腸はパンパンに膨れ上がり
素人の私がみても異常だと解る程でした。

イレウス(腸閉塞)です。
その時既に外から見ても分かるくらいお腹が腫れあがっていました。
痛みに震え、時折気が遠くなっているパパを見ながら
自分の無力さに涙が溢れました。

確かその時、以前私が陣痛で苦しんでる姿を見て
「ほんま横に居てても何も出来へんわぁ。無力さを感じたわ」と
パパが言ってた事を思い出しました。
パパの気持ちはこんなんだったんだぁ。
パパの痛みはあの時の私の痛みより痛いの?いや絶対痛いはず、
だって先が見える痛みと見えない痛みは
痛さが違う・・・。そんな事も考えてたような気がします。

緊急入院の為の採血、血圧測定、etc…
そんな事より早くこの痛みを取ってあげてと言う気持ちと
早く何かしてくれないと破裂すると言う不安で、
冷静にはなれませんでした。
                     
AM4:30
入院病棟の看護師さんが来て車椅子で部屋へ向かいました。
苦しみながらの移動。
私は看護師さんに「破裂しないかがすごく心配なんです。」と言うと
「大丈夫、まだ若くて腸が丈夫だからね」と言ってくれました。

病室に着き、直ぐに内科医が受信し、痛み止めを投与しましたが
一向に痛みが治まりません。
担当の看護師さんがずっと付き添って下さり、何度も医師を呼びに行って下さいました。
ついに、内科ではなく外科にバトンタッチする事となり、外科医は腹部の腫れを見て
すぐにカテーテルを鼻から入れ腸に溜まった圧を抜く必要があると判断し、処置が始まりました。
その時、同時にCT検査も行うとの事でした。

AM6:00
処置を終えて病室に戻ったパパはまだお腹の痛みに苦しんで
ベッドの上でのたうちまわっていました。
外科医からの説明では鼻から入れた管は今小腸まで入っており、。
これから腸の収縮で大腸に進んでいき、そこで圧が抜ける仕組みになってる事を告げ
再度、主導を内科医に・・・

その後もモルヒネや座薬等の痛み止めをしてもらい、効いてきたようでうとうとし始めました。
 
AM9:00
消化器内科の医師が2人(30代の見るからに男の子)が来て
今後の処置の計画を説明してる最中、彼の電話がなり話し始めました。
「え?今じゃないと駄目なんですか?今すぐにですか?」そんな会話の後
CTの結果腸閉塞の原因が直腸に出来たポリープである事、恐らくそれはガンなので
至急手術が必要である事を告げられ、またもや主導が外科医になった事を告げ退散した。

AM10:00
外科医が手術の説明に来た。男性1人と女性1人の医師である。
眠っているパパを起し、手術の説明が事務的に始まる。
腸の中の物は詰まった状態になっている為、危険を伴う手術だと言う事、
ガンの位置からおそらく、人工肛門は避けられないと言う事が一番記憶に残っている。
手術開始はPM1:00~だった。

AM11:30
術前の準備が始まった。
その時パパは急に、便を催し看護師さんに便器を持って来てもらった。
急に下痢のような便が大量に出続けた。結局1時間位ずっと簡易トイレに座ってた為
手術の時間が30分ほど、ずれてしまった。でもそれが手術の危険性をグッと低くした。
術前に少しホッとする事が出来ました。

PM1:30
便が出た為、腹痛が治まりその上痛み止めが効いていたのでグッスリ眠る中
手術室に移動しました。
予定より遅れて手術が始まりました。
本人は、便が出てからの記憶は殆どなかったようです。


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